開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自己との一致とは

先のヘーゲル精神現象学」からの引用ページに、自己との一体化という言葉があって、今日読み直した時に目に止まった。自己と一致しているときは自立していて、一致しなくなると解体が始まると書いてあった。それは知が働いているかどうかに関わっている、と読める。思い出すのはソクラテスの耳慣れた言葉だ。「汝自身を知れ」だ。自分自身を知ることが知の使命なのだ。また道元禅師の言葉にも「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己を忘るるなり」というのがある。ヘーゲルソクラテス道元も同じことを言っているように思える。ただヘーゲルの場合は、いったん自己解体に落ちてその回復過程も含んだ、自己回復運動の結果、自己との一体化を言っているようだ。道元の「自己を忘るる」はヘーゲルの自己回復に転ずる時のきっかけを指しているようにも思える。

そう言えば、ヘッセも「デミアン」で、「利口そうなおしゃべりなんて、ぜんぜん価値がない。ぜんぜんないね。自分というものから離れてゆくばかりだ。分を離れてしまうというのは、罪悪だよ。ぼくたちは、自分の中へかめのこみたいに、すっかりもぐり込むことができなけりゃだめだ。」と言っていた。この部分も、自分との一致を経験的に述べているように思える。表現は哲学と宗教と文学で多少の差異はあるが、自分を知ることが不可欠であることを教えている。そしてそれは最低限のことで、そこから始まるとされているように思える。