開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自分をドラマの中に置く方法

自分がドラマの中にいるように毎日ワクワクしながら前進する生き方ができれば、人生最高となるだろう。例えばオリンピックを目指して毎日練習に明け暮れるアスリートはドラマの中にいるだろう。明確な社会的使命を自覚して職業人になるべく、職場で毎日日々修行に励むように活動する人もドラマの中にいるだろう。今この瞬間にやるべきことが見えていて、それに集中して従事できる能力のある人もドラマの中にいるだろう。小説家が私小説を書いて佳境にある時、ドラマの中にいるだろう。だが、明確な目標がなく、時を忘れるくらい集中できることがない場合はドラマの中にいることはできないのだろうか?現象学という方法がある。現象を記述、ないし叙述すればいいのだ。サルトルはその方法に目覚めた。現象に取り囲まれた自己はドラマの中にいるだろう。だとすれば無限に自分の周りを記述していけばいいのだろうか。存在という現象、理念という精神現象、、、 そうだ、ドラマという現象もある!今自分はドラマの現象に出逢っているのだ。

加藤尚武氏を通じてヘーゲル哲学に出逢ったことがドラマの始まりなのかもしれない。分かるということが自分とヘーゲルを結びつける。もっともっとヘーゲルに近づいていこうという衝動を感じる。もう始まっていて、ヘーゲルの感じた世界と哲学の中に入っていこう。