昨日午後から公民館の研修室で、自分たちで作っている源氏物語の読書会を開いた。一人では続かないからみんなで読もうという単純な動機でスタートしたのだった。今日は「胡蝶」の巻だった。とにかく何が書いてあったかを確認する場になっていて、これは誰の言葉かとか、登場人物はどれだけ出てきたかとか、宮廷の役職名とか道具の把握だとか、その時紫の上はどう感じていたかとか、源氏は果たして玉鬘と結ばれたのかとかをその場で確認するのである。分からない時はその場でスマホで検索して調べる。2時間だがあっという間に話が盛り上がって終わる。85歳で参加しているお婆ちゃんは、毎回楽しいと言ってとても元気だ。今日は85歳で作家がどんな感じか、発表されたそれぞれのエッセイを読んで感想を述べていた。瀬戸内寂聴、森村誠一、鈴木大拙、佐藤愛子など皆85歳ぐらいで人生で独特の楽しさに目覚めたみたいなことを書いているらしい。全能感だとか自由感にそのころ出会うらしい。長生きすると老人にしか体験できない境地があって、60代、70代なんてまだまだ若いと言っていた。
さて終了して1階のロビーで雑談していると、公民館には珍しくモデル級の若い女性が二人ぼくたちの前を通り過ぎて行った。思わず目で追ってしまったが、その時の彼女たちのゆったりとした優雅な足取りに何か違和感があった。おそらく自分たちは綺麗に見られているのに慣れているという態度が現れていて不快だった。傲慢に感じられた。その時の感じは、ぼくが思春期の頃に女性に感じた反発感を思い出させた。あまりにも自己中心的なのが不快で、何に対しても驚かないという風だからちょっと驚かせてやれ、みたいな男子の本能のような感じだった。