開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

帰属感について

自分は日本人で当然日本国籍で、日本の石川県の野々市市というところに住んでいる。日本の石川県に属しているという感じはあまりしない。石川県民かを問われることはほとんどないからだし、県庁に出かけて何かを申請したり相談したりすることもないので、日常的な接点がないから、帰属意識もないわけである。海外に移住でもすれば、自分が日本人だという意識も身につくかもしれないが、普通に地方に住んでいれば日本人という意識は持たない。ところが帰属意識というものを経験してみると、安住できているという精神的充実感がある。ぼくは50年間ほどは金沢に住んでいて、20年ほど前に野々市に移住してきた。その時はまだ野々市町だった。金沢は地方だけれど十分都市になっている。金沢市民だった時には市役所との接点もなく、市という環境が大きすぎて身の丈に合わない。多分、金沢市以外の人間とぼくは何も変わらなかったと思う。

今日、野々市市の地域振興課の山田さんと会って、椿まつりの時の講演会講師料の支払調書の書き方について相談してきた。その時の親密さが帰属意識の「快感」を感じさせた。確定申告の時期を迎えると、支払調書というものが必要になって、講師の先生に送らなければならないらしい。

帰属意識の「快感」を感じたことが大学1年の時にもあった。大学進学して奨学金をもらう時の何かの書類を日銀金沢支店に持って行った時の、受付の人の態度がとても親密だった時だ。日銀に入ったのはその時が最初で最後だったが、とても感じがよかった記憶がある。学生さん、頑張ってくださいよという気持ちが伝わってきて、その頃はいい時代だったのだろう。

それにしても会社員だった時の帰属感は、すこぶる悪かったのはどうしてだろう。会社と自分との間に大きな溝があったからに違いない、、、