開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

60年代の洋楽にひたり続ける幸福

自己意識という意識に気づき始めるころが今頃になって無性に懐かしくなる。いわゆる「自我に目覚める頃」が、自分にとって第二の誕生というくらいに思える。考えることに目覚めるのだ。性に目覚めるころは、ぼくにとってはもう少し早い、ということが定年後の過去への回想体験をやってみて確認できた。あれは小学低学年の頃だと思う。ぼくは母の実家の田舎に遊びに行って、従姉妹二人と広い実家の部屋を走り回って遊んでいた。どういうわけか屋根裏部屋のような暗い部屋を発見して、そこで疲れて寝てしまった。ほとんど同年くらいの女子二人の間に挟まって寝ていた。その時のいい気分がかすかに残っていて、その気分の中にどうやら性的なものが混じっている気がする。目が覚めた時にその従姉妹二人が親たちに連れられて居なくなっていた時に、何だかいけないことをしたような気になったのだった。それはここでの話のネタではないので止めるが、自我の目覚めの方は性的というより、適当な言葉ではないが哲学的な感じがする。学校に行っている生きている世界以外に、自分の心の中に自由な目に見えないけれど感じられる、もう一つの世界が広がっていると思えたからだ。ぼくには現実の世界は退屈で面白くなかった。特にいじめられたという経験はなかったが、友達と一緒に遊ぶことがあまりなく、家に帰って米軍向けの短波放送で、アメリカンポップスを毎日聴いていた。アメリカはかっこよく、憧れの世界だった。もちろんビートルズストーンズも聞いたが、オーティス・レディングシュープリームスアレサ・フランクリンなどのソウルもよく聴いていた。この時の音楽は自我と結びついていて、今思い出してその頃の音楽を聴くとすぐに昔に戻ることができる。そんな時、自我の世界が自己愛と自由にあふれた時代のように思える。今夜はその至福の時間にずっと浸っていた、、、。