開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

最期に残るものは何か

哲学が知の世界にあるのに対して、文学は情の世界にあるように思える。知の世界は限りなく透明に近づいていくのに対して、情の世界は様々な色の世界に限界まで連れていかれる。知の世界は無限なのに対して、情の世界は有限に思える。それは人間の外延と内延の違いに思える。精神と肉体の違いにも思える。これまでぼくは文学の世界にずっと愛着があって、色と内延と肉体の世界に住んでいたと思える。それを今頃になって哲学に大きく方向転換しようとしている。何がそうさせるのだろうか?一つの仮定は、リアリズムをより求めるように変化してきているのではないか、というものだ。歳をとると寿命を意識するようになり、生い先を考えてより確かなものに従いたいという本能が働くのだろうか?リアル感というものは、自分と自分以外との結びつきがどれほど確かかを感じることだ。哲学といってもぼくの場合は、ヘーゲルマルクスサルトルぐらいの読解を通じてに過ぎない、といってもほんの触りに過ぎないのだけれど、あくまでその範囲以内でのリアルな感じを確かめながら書いているわけだが、哲学の方がつながりの確実度が上である気がする。やはり、文学は嘘で成り立っているという根本がそう感じさせると思う。ファンタジーやエンタメを肯定するとしたら、ぼくはもう繋がれないというのをどうしようもなく認めざるを得ないからだ。最後には確かに生きたという、充実感に満たされて死にたいと思うからだ。