開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

生涯学習について

生涯学習課というのが我が野々市市にもある。ぼくは野々市市図書館の図書館協議会委員でもあるので、生涯学習課から図書館の活動を諮問される立場に今年からなった。それでそもそも生涯学習なるものを考えてみることにした。学習は何のためにするのかといえば、大学に入学するためとか、資格や免許を取るためとか、外国語や芸術などの能力開発のためとか、とにかく具体的で制限のある目的がある。ところが生涯学習となると生涯学習し続けて、いつまでも学習し続けるイメージがある。具体的で制限のある目的がない。教育基本法には、「自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができよう」生涯にわたって学習を行うことが生涯学習とされている。言わば、人格を磨いて豊かな人生を送るために学習するのだとされている。「人格を磨く」とは何をどのようにどの程度行うことなのか、よく分からない。ヘーゲルによれば、社会の契機は労働と相互活動と相互承認という概念構成になっている。「人格を磨く」に関係するのは、相互活動と相互承認においてだろうと思える。つまり、様々な社会的活動の相互活動における、個人のコミュニケーションと相互評価と相互協力の能力開発ということになりそうである。そういった能力開発の学習プログラムが揃っていて、どれだけ実施されているかを諮問されると思われる。

やはり大きく言えば、社会人としての適正を学ばさせるのだろうと思える。それも生涯にわたってということだ。、、、これは、大きなお世話じゃないだろうか?個人がどう生きようが自由であるべきなのではないだろうか。だけれど、決して自由は教えない、と思える。社会や国にとって色々不都合なことになりかねないと思うだろうから。豊かな人生とは、社会にうまく適合することだろうか?むしろ、自分本位に徹底してやりたいことを追求して達成することに、豊かな人生があるのではないだろうか?、、、これを書いていてぼくが思ったのは、生涯教育は自己教育だということだった。