ここ二三日、何か書きたくなってとにかく書き出してみようとパソコンに向かうことが多い。とにかく書こうとすると、自分の人生の意味を探ることになる。何のために生きているかを問うていて、我ながらそうなる自分を訝しく思う。古くからの最も基礎的な問いというか、大きすぎる抽象的な問いで、肝心な問いであるとともにありふれた問いである。それは自分はどういう人間かをも問うことになる。平凡な人間と思ってきたが、平凡が平均的という意味なら、自分は平均以下のように思える。誰もが通ってきた道を踏み外しはしなかったものの、正面から精一杯の努力をして、自分の限界を破って進んできたかというとそうではなかったとはっきり言える。ライバルとの競争に自分の力を振り絞って堂々と挑み、闘ってきたかといえばそうではなく、競争となることを避け楽をして違う道を歩いてきたような気がする。消極的な生き方だったから誰にも人に勧められるようなことがなかったと思う。親にも兄弟にも妻にも友人にも恋人にも、自分はこれをしてこんな人間になりたいと主張したことがなかったと思う。自分がどうなろうが自分の勝手だと考えていたかもしれない。親や周りの人たちに助けられて自分があるとは正直思えるような、人生の場面がなかったような気がする。おそらく自分中心で自分の殻に閉じこもって、周りが見えなかったのだろう。平凡だったというのは、何もなかったということだったのだ。
しかし、果たしてそうなのか。妻には感謝している。これまで出会った人達に薄情な態度で接してきて、何も力になろうとしなくてすまない思いがしている。あらゆる人と自分の間に距離をつくって生きてきたかもしれない。冷たい、薄情な、無情な、恩知らずの、夢のない、寂しい人生を送ってきたのが、僕らしい、、、