自分がなれるかは別として、作家と批評家の違いは何で、自分はどちらを目指したいか、またはどちらが自分に向いているかを考え、妄想してみたい。違いについては、自分を書くか他人を読むかのどちらを優先するか、にあると思う。他人を読むを優先するというのは、他人を読む自分を優先することでもあって、小林秀雄という批評家は他人を読む自分を打ち出している。他人を媒介にして自分を他人以上に成り立たせているのが、批評家という存在なのかもしれない。どちらにオリジナルな才能が宿っているかといえば、作家の方だろう。作家はいわば存在の枠をはみ出て生きる天然の人のように思える。ぼくはと言えば、存在の枠をはみ出て生きる天然の人を応援したい気持ちがある。その応援する場所は、ぼくという自分のオリジナルの開拓されたところだ。ということはどちらかというと、ぼくは批評家の方に近いかもしれない。自分の生きる場所がやはり「最後の人間」である哲学のところのように思える。サルトル的、ヘーゲル的、柄谷行人的な存在にぼくは憧れがある。