開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

なし得なかったことや失敗について

ほとんどの人はかつてのぼくも含めて、なし得なかったことや失敗をマイナスに捉えていることだろう。定年退職して、俺はさしたる成功を経験しなかったと自分の人生を振り返る人は、自分の過去を過小評価しがちになる。なし得なかったことは未達成ということで、何らかの理由で成果が出なかったことがあったということだ。つまり途中まで有ったのだ。失敗も一度は望んだ夢や目標が有ったということだ。ぼくの人生でいえば、美大という環境の中でデザイナーには具体的な夢を持てなかったが、その時代に表現された芸術に影響を受け、熱く刻まれた感受性はあった。ぼくの卒業制作は、フランク・ステラを真似たものだったが、そこには商業的なグラフィックへの抵抗があった。真似たこと自体はオリジナリティのない恥ずべき行為だったかもしれないが、厳密にいえば「引用」したのであり、もちろんそっくり真似たわけじゃない。フランク・ステラから感じとったのは、「物質的な色の帯が作る構成体」なのであるが、それはぼくにとって色の商品性を否定するものだった。色自体の存在感を表現したかった。それはデザイン科の学生がやってはいけないことだった。ぼくは心では分かっていたが、卒展の審査の時は口にしなかった。ぼくのこのような「失敗」は今、何か救うべき価値があるだろうか?それはこの資本主義という社会には役に立たないゴミにすぎないかもしれないが、自分にとっては資本主義への抵抗という意義を持つ。その姿勢自体はぼくの人生をかけて肯定しようと思う。