開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

実人生と書かれた人生

人生を二度生きる。一度は実人生で、二度目は書かれた人生だ。実人生を書いて思考上の空間で再現された「人生」を生きることをやってみたい。と言うか、実際このブログで断片的にやってきている。実人生の中に隠れている流れの源流は、社会に出るまでの主として大学時代に作られたと思える。高校は進学校だったが文系を選択し、大学は地元の美術大学に入学した。家は経済的に余裕があったわけではなかったので、東京へ出ることはなく私立ではなく公立だった。医師や弁護士や教師という明確な進路は描けなかった。何となくデザイナーだったら仕事に就けそうだったので、美大にしたのだが、デザイナーでやっていくには東京に出る方がチャンスに恵まれることははっきりしていた。つまり職業で成功する道は、経済上と職業特性から初めから諦めていた節がある。そういう出発点を持ったということが、その後の実人生の軌道に大きく影響したと思える。言ってみれば、デザイナーとしては初めから二流か三流の道を覚悟していたわけだ。そうすると必然的に仕事はそこそこに平凡にやって、仕事以外に生きがいを見出す必要があった。それが文学の道なのだが、小説家も批評家も研究者もその道はそれぞれに茨の道だ。まず研究者は文学部のある大学に行く必要がある。実は美大に入ってから金沢大学に入学し直そうと試みてみたことがあったが、金沢大学は浪人しても受かる学力はなかったと思う。小説家や批評家になるには文芸誌の新人賞に挑戦しなければならないが、そのための文芸修行は、デザイナーとして採用された会社に入ってみると想像以上に孤独な闘いが必要になった。入社1年目に辻邦生の「背教者ユリアヌス」や、埴谷雄高の「闇の中の黒い馬」と「死霊」を読んでからその後が続かなかった。二、三年して行き詰ってしまった。ここで自分で描いた生き方が破産したといっていい。会社を辞めて文芸修行ができる環境を求めて就職しない生き方をするか、文学の道を諦めて趣味にとどめて「退却」するかを選択しなければならなかった。しかし実際は、仕事で二流か三流のデザイナーで、趣味で小説を細く長く読み続ける楽な生き方に、はっきり決断することなく流れていくことになった。このように書いていると楽な生き方に思えるが、仕事で満足が得ることがないと趣味にも打ち込む元気がなくなるものである。仕事で二流となるばかりでなく、生き方そのものが二流になっていた。そのころしばらく悩み続けた結果体を動かすことを考え、趣味を読書からスポーツに転じ、テニスに打ち込むようになる。それはそれで楽しく元気な自分を取り戻すことができた。そして元気になると、仕事の方も二流なりに頑張りだして自分の客を作ることに自分の能力を発揮しようと前向きになった。ここからは当初描いていた生き方が修正されて、仕事に生きがいを見出そうとする方向に向き始めた。ここで修正されたことがもう一つある。デザイナーは東京に出ないと仕事で成功しないと思い込んでいたが、地方で二流であってもデザインの取り組み次第でいい仕事もできるという考え方に変わったのだ。東京と地方という軸で東京だけが中心という考え方は不当であって、地方にいて地方から開かれる自律的なデザインも考えられるという思考法になった。そのように意識を転換できた背景には、そのころ始まったインターネットの普及というデジタル環境があったと思われる。