何を書きたいのかは分からない。自分で何処かに書いたことだが、定年の意味が川が河口から海に出るようなものという比喩が気に入っている。海に出たらいきなり茫漠とした果ての見えない環境に置かれる。当然ただ漂うしかない。どこかの時点で潮流にぶつかり、自然の流れに身を任すことになるだろう。どこへ運ばれていくのか?潮流というのは、影響を与える人のことだろう。無人島に流れつくかも知れない。何の情報もない、人工の施設も学校も病院も監獄もない。食っていくには原始人のように、狩や農業ができなくてはならない。無人島ではなく、原始人が住むような文明から閉ざされた島かも知れない。簡単に捕まって喰われるかも知れない。強くて逞しい自分をイメージできないので生き延びるのは無理だろう。
もし環境が変わらないとしたら自分が変わる必要があるだろう。齢とともにどんどん変化するだろう。人類の歴史を駆け足でくぐり抜けるような、創造的な学習に明け暮れるかも知れない。もう一度自分が関わって人類史をたどる旅に出かけるのも悪くない。若くないので実際にバックパッカーにはなれないが、想像力で旅をすることは可能だ。想像力はどこまで力を伸ばせるのだろうか?書かれた冒険本などを読むのは他人の追体験に過ぎない。自分自身で想像力を試す方法があるのだろうか?
やはり自分に返ってくる。誰かの想像力や思考力ではなく、自分の力を取り出すとしたら、どのような状況を設定すればいいのだろうか?ただの人に何ができるか、根本のところから始めてみたい。肩書きを持たない、資格も財産もない、才能などという恵まれた能力はなく、人生経験といえばサラリーマンを定年まで勤めたことぐらいしかない、人一倍の健康な体力とはいえない人並みの肉体はあるが、コミュニケーション能力は人並み以下だ。
これまでの自分から脱出するという挑戦ぐらいはできそうである。端的にいえば自分の過去をもう追わないことだ。今思いついたが、これまで読書を通じて他人の生き方や思想などはずっと批判を含めて学んできたと思う。一度、他人から離れてみようと思う。ヘーゲルからも離れよう。柄谷行人からも離れよう。小説を読むことからも離れよう。まだ見ぬ土地の人には近づこう。