これまで読んできた本の知識や物語や人生観などから影響を受けて、自分の考えが作られていると思う。誰それはこう言った、ということをいくつも挙げることができる物知りな人がいる。読んだ本の解説を述べて、お勧めの本を動画に上げているYoutuberも最近は出てきている。小説もエンターテイメントの一つとして面白く読めればいい、と考える人は多いと思う。ぼくは小説を娯楽の一つと割り切れない部類の人間だ。職業としてではなく、どうしても小説を書かないとおれない種類の人間にぼくは惹かれる。
「野露読書会」で当番になった時、コロンビアのノーベル賞作家ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」を課題本に取り上げた。果たしてちゃんと読んできてくれるのかそもそも心配だった。これまで海外の小説を取り上げたことがなく、題名を聞いて「なんか恐そう」と言っていたお婆ちゃんもいたからだ。
80代のお爺ちゃんはちゃんと読んできていて、面白かったと言った。若い頃から本を読む習慣ができていると、現代の世界文学も読めることが分かった。彼は気さくで場を盛り上げることができる人だ。若い頃には「ファウスト」を読んで感銘を受けたらしい。全くインテリっぽいところがない、カラオケの持ち歌も多い楽しい爺さんだ。文学少女のまま知的好奇心を持ち続けているお婆ちゃんもいて、会の中心的な存在になっていた。彼女は源氏物語を読み通していて、日本の古典にも明るい感じがコメントからうかがえる。彼女はなんとマルケスの「大佐に手紙は来ない」も読んでいた。
この小説に出てくる求婚者の父のペドロニオ・サン・ロマン将軍はその「大佐」の敵側の将軍であることを指摘すると、ああそうなの、と興味深げだった。そのようにマルケスの小説は同じ登場人物が出てきて繋がっている「大小説」なんですと言い、これはバルザックの「人間喜劇」の手法を踏襲していて村上春樹もその意識があるみたいです、とぼくはちょっとばかり得意になって解説した。(バルザックは「谷間の百合」を読んだくらいなのに偉そうで反省している)
とにかく心配していたことはあまりなかった。というのはもっと欠席者が出ると思っていたのに、欠席は二名だけだった。