開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

後から気づく目標もある

大学合格、就職が決まる、結婚、マイホームを建てる、昇進する、子供ができる、定年退職する等々、人生にはその都度の目標(節目)があり、それを達成することが目指される。ぼくの場合は、昇進すると子供ができるは達成しなかった。でも現在食うに困らず健康で、雨風、暑さ寒さを防げるマイホームに住めていて、老後の心配もさほどないから概ね人生の目標は達成できているのかもしれない。しかしこころの満足にはきりがない。こころとか魂に目標を作ることなどできないだろう。家庭の幸せ、夫婦の幸せや友人関係での親密度などは、目標をこちらで作ったところで相手があることだから儘ならぬと思われる。でも関係の一方は自分であるのだから、心がけの目標は作れるのかもしれない。

何を言いたいかというと、最近あることで人生の目標を達成したような気がして、意外にも深いボディブローのような幸福感を感じたことがあって、でもそれははっきりした目標があったわけではなかったことについて、どうしてか考えてみたかったのである。どうでもいいようなことかもしれないが、ぼくには何か発見したような感じがある。つまり、経験の後にあれは目標達成したのかもしれないと気づくことがある、ということだ。実は無意識に目標にしていたからこそ、その経験は達成したかのように満足できたのだと。ことさら目標として明確化せずとも、後から気づく目標もある、ということを言いたかった。ぼくのそれは夫婦で達成した「目標」だった。