今更と思われると思うが、定年になると無職であることは咎められないから、哲学するには向いている環境なのだった。最初からニートで組織経験がない人よりは、定年まで会社で働き定年後無職になるサラリーマンの方が、両方を体験しているので無職の自分についての内省や分析がしやすいアドバンテージがあると思う。そもそも哲学は人間を抽象化し普遍性に置くわけだから、定年後職業に生きることから離れて抽象的人間になる生活環境は、哲学するのにふさわしいのだ。定年後どう生きるかをこのブログで自分なりに追求してきたけれど、もっと哲学の問題として深めていきたい。単に「老い」の問題にはしたくないし、終活の問題にもしたくない。誰もが必ず訪れる老後を希望の持てる、もっとも豊かな人生場面として描き出したいと思う。これまであまりにもネガティブな問題提起ばかりで、誰もが歳を取りたくないと初めから思っている常識を覆してみたい。外観上の美醜にとらわれる文化から自由になって、精神の旺盛な跳躍と想像力による回想の自由に期待して、定年後の哲学をこれから打ち立てていきたい。