開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

無価値な自分を認める

定年退職後無職のまま過ごすことに後ろめたさがないといえばウソになる。社会的に無価値なことを認めたまま生きるのは、正直に生きることだけは守ろうとする自分には辛い。だったらボランティア活動を始めればいいじゃないかとなるが、それもやりたくないのが正直なところだ。何としても自己肯定できる価値観がなければ生きていけないと思う。最近はヘーゲルも読めなくなっている。もっとも社会的価値を自分に突きつけているのは、ヘーゲルを少しは勉強したからなのであるが。文学的には高等遊民という便利な称号があるが、もうそれを気取る気はない。ヘーゲル学徒としては倫理観を失うわけにはいかない。ではどうすればいいのか。

自分を捨てればいいだけ。何にもない自分を認めればいい。ただ生きていればいい。文学も哲学も捨てればいいのだ。もう何にも身につけることもなく、淡々と生きていけばいい。自分を相手にしてくれる隣人に感謝しながら生きていけばいい。母と妻を大切にして生きていければいい。地元野々市市民として無理しない程度に淡々と、義務を果たして生きていければいい。同じ時代に生きる人間の一人として自然体で生きられたらいい。