開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

スリリングな回想

Aはそれまでのぼくの住んでいた世界とは別の世界に住んでいた。最初はとても大事に育てられたお嬢さんの姿に見えたけれど、それ程裕福な家庭ではなかった。一人っ子だったから大事にされたには違いなかった。幼児の頃にバイオリンを習いに教室に通わせられたが、長続きはしなかったようだ。最初のころ、ほとんど会話らしいことがなかった。下校で帰り道が同じ方向だったのでよく一緒に帰っていたが、何を喋っていたか思い出せない。おそらく俗っぽいことを一切喋らなかったので、彼女はぼくが生身の人間かを確かめたかったのだろう。突然、あなたがオシッコをするところを想像できないわ、とツッコミを入れてきたのは驚いて記憶に残っている。それはそれまでどんな女の子からも言われたことがなかった。Aは自分の妄想から言葉を発する少女だった。Aの中の妄想とその頃のぼくの精神は、何処か同じ部分があるのだろうか。質問できたら面白かったかもしれない。今気づいたがAはせいいっぱいぼくをからかったのかもしれない。俗なものに引っ張り込もうとしたに違いない。そうだった。いくら高尚なことを考え続けていても、お腹が減ったら何かを食べなければならず、ぼくはそれが面倒なことのように思えていたものだった。でもそれが本当だったらAは見かけと正反対な本音を隠せる術をすでに身につけていたことになる。上部は従順に、憧れの目を持ってぼくに従うようだったから。でも純情な青春だったことにしておきたい。ただ回想によってその時に帰ってみて、いろいろな可能性を取り出して見ることは過去を変えうることが分かる。それは無駄といえばそうだが、生きた意味に影響すると考えればスリリングなことかもしれない。