開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

生きた時間に値する見返りは何か

あの頃どんなことを考えていたかを当時の言葉で再現することはできないが、今現在から推測してだったらおそらくこうではないかと言い当てることはできると思う。それは人間が80年生きるとしてそれだけ生きるのに値するものは何か、という問いだったと思える。小さい時から身体能力や学力や芸術的才能が認められ、それを伸ばすことに一生をかけることには意味があるだろう。あるいはどうしても好きでやりたいことがあってそれが社会的に有用なら、たとえ小さなことでもやり遂げる人生には意味がある。あるいは大人になる前の何処かで、かっこいい生き方をしている人物に出会ってその人を目標に頑張って、その人を追い抜くほどに努力する人生にも意味はあるだろう。ところがぼくの場合、そのどれにも当てはまらなかった。なりたい職業も分からなかった。そんな場合は生きた時間に値する見返りを何に求めればいいのだろうか?それは、一大問題だった。その問題の答えを探すか、答えが見つからなかったらどうするかを考えなければならなかった。そういうことをAに語りたかったのだと思う。いつもの校舎からの帰り道、富樫運動場に寄り道して、ぼくは坂口安吾の「堕落論」をAに読み聞かせしていた。観覧席には椅子ではなく草むらになっている土手のようなことろがあってそこに二人向かい合って座っていた。Aは読み聞かせに気持ちよくなったのか、本から目を上げると眠ってしまったようだった。ぼくは何だと思って顔を見たら唇に目が止まった。ぼくはドキドキしながら初めてのキスをした。後で訊いた時に、あの時本当に眠っていて何も気づかなかったと言われた。