一人の作家を徹底的に読む対象として黒井千次を選んで、5冊目の「春の道標」を読み始めていた。ところがわずか数ページ進んだところで、中学か高校生の主人公明史が1年上の慶子の家に母親の使いで届け物をした時に、途中雨にあってずぶ濡れで家に入り慶子から着替え用に自分の肌着を渡される下りが書かれていた。これはいけなかった。これはぼくの感性に合わなかった。こんな些細なことのために方針を変えてしまうのか、自分でも呆れるが感覚的なものはどうしようもない。村上春樹の都合のいいセックス場面はまだ我慢ができたのだが、黒井千次のこれはダメだった。さて、対象は元に戻って、やはり埴谷雄高にしようと思う。まだ未読のエッセイなどがかなり残っているので、この機会に読み尽くそうと思う。