あの頃には何もなかった。だからどんな小さなものにも、その世界に入ることができた。何もかもが初めての出会いだった。少女の唄はぼくの全てを満たした。何にも置き換えることのできない、19の早春。真夏の午後の静寂。黄金の夕陽に映える海。どうしてよみがえるのだろう。決して消えることのない記憶に匂いや頬を打つ風や未経験のはずの悲しみまで。世界から切り離されて遠ざかるぼくを見つめ返すクラスメイトのY。あれは馬鹿げた友情とは見なさない。あの時以来お会いしてないけれど、あなたは今どうしてますか?どんなに夢のつづきを追いかけても、お礼の言葉をいうことができない申し訳なさに、今更のように苦悶する。多分別れの現実がどいうものか想像できなかったのだろう。与えられていた時の無償の豊かさに気づけなかった。失うことの不可逆的な流れに追いつくすべを知らなかった。無知と孤独と無情の定めが恨めしい。忘れるためになし崩しの仕事にいつも埋没した。褒められたやり方ではなかった。失ったものを取り戻すのに、書くことをおぼえて大人になった。言葉に閉じ込めて、言葉に寄り添ってぼくはやさしさに目覚めた。
世界に飛び出すまでのモラトリアムの時期があった。どんな人にも孤独が初々しい頃があるのだろうか。もしこれを読んで呼応してくれる人がいるだろうか。憧れに身を焦がすほどの疾風が過ぎ去ったころ、木枯らしが落とした樹の葉たちの路を、上は萌黄色のセーターを着て、下はコーデュロイのパンツに包み、素足にスニーカーを履いて歩いていた。現実には誰とも出会わなかった。でもいつも誰かがいて寂しくなかった。スタンダール気取りで熱烈な手紙を将来の貴婦人に送っていた。長い手紙には二人だけの場所が想像されていた。言葉による気配の定着に夢中になった。果たして返事は来て初めての侮辱を味わった。大いなる時代錯誤にも甘い記憶が付いている。静かに蘇るかけがえのない日々、蘇るたびに新しくなる。重なりが思いがけない息吹を生む多くの詩人は高踏を複雑にして思想に高めたが、失ったイノセンスの風はあまりにも強く、無情とニヒリズムの温床をつくった。少女の瞳と息と低い声に、閉じられたいのちを与えてもいいのではないだろうか。
今から思うと、ぼくは恋愛感情はあったが恋愛体験はできなかった。恋愛小説のいくつかを読んで、その事実を認めざるを得ない。昔はぼくも恋はしていたと思っていた。好きでいてもたってもいられなくなり、電話をして会っていたのを恋と呼ぶのかと思っていた。しかし二人っきりになるチャンスがあっても、もて余すだけでちょっとした間ができて、次には進まなかった。がっかりする自分を取り繕って、友達のように振る舞った。相手の方は自分に魅力がないのかと思ったかもしれない。いわゆる友達以上恋人未満という状態はあったかもしれない。今の妻となんとか結婚はできたが恋愛によってではなかった。結婚してから恋愛しようと思っていた。妻も恋愛は苦手のようだった。でも彼女はぼくより感情が豊かで気性も激しいところがある。昨日どういうきっかけだったかは忘れてしまったが、新婚の時、映画を観に行ってぼくが結婚指輪を落としたことがあったのを思い出していた。その時、二人で探しても見つからなかったので一度映画館を出た。ぼくは仕方がないと諦めていたと思う。でも妻は決心してもう一度戻り、座席の近くで見事に見つけたのだった。ぼくは自分が諦めたことを帰りの車の中で何度も悔やんでいた。ぼくには本当の心というものが欠けている気がする。十分に生きているという実感をどこかで失ったような気がする。それはぼく自身のせいなのだろうか?