サラリーマン時代、一人の男がぼくの前に立ち塞がった。ぼくは人生で初めて、自分がまるで出来損ないの子供のように扱われているのに直面した。ぼくはぼくの感じたままに生きているのが当然と思っていたが、彼によって根本的に否定するかのように侮られた。最初の数秒間、訳が分からなかった。確かにぼくはサラリーマンで、彼はその会社でのトップにいる人間だった。いったい何の権利があって、そこまでぼくを否定できるのか、まるで犯罪者のように扱うことが可能なのか、さっぱり分からなかった。ぼくが一体何をしたというのか、犯罪を犯したのならどんな法律があったというのか。いや警察だってもっと紳士的でさえあるだろう。彼は意図的に暴力を言葉に込めた。言葉そのものと言葉の発声の仕方が暴力的だった。後年朝礼か何かで、言葉で人を殺せるという話をしたくらいだったから、その時のことが頭に残っていたものと思える。基本的人権の最大のものは、内心の自由であると今では知識があるが、その頃のぼくは無知だった。お前が考えてしたことの全てを私に報告せよ、と宣告した。それが会社というところの法律だ、というのだった。ぼくがサラリーマン時代の38年間を強制収容所にいたと、かつてブログに書いたのはそういう事だった。