開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

教養という世界も魅力的

定年退職して8年が経ち、河口から海に押し出されてさてどの辺りでぼくは漂っているのか。ひょんなところから詩人が立ち現れて、改めて言葉の原点回帰が来ていそうな感じがする。言葉の瑞々しさと他者への発露の限界に佇もうとしている。概念や思想に行きつく前の現前の、遊びの発見にしばし休んでいる。ぼくの故郷には、19世紀欧州的な放浪と日本の古典である風雅と侘び寂びが同居する観念の、美大での出会いがある。どうやらそこへ回帰しようとしている。今日読んでいた本に、水尾比呂志という詩人であり美術評論家の懐かしい名前を目撃してしまった。その教養の海にこれから呑み込まれてしばらく漂うことになるのが予感された。ぼくの美大時代は世相的には、破壊の後のオリジナルなものが芽生えようとしていた時期だ。現代美術と現代音楽と現代詩が混沌とするエネルギーを収集して、形式を産もうとしていた。政治的な個人は孤立の果てに力を内向して行った。そんな中で古典的な教養という世界も魅力的だった。寺田透高階秀爾大岡信栗田勇、そして水尾比呂志という潮流。時代とは隔絶するのではなく、わずかに距離を置く位置に生きることはなかなか素敵なのだった。