開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

芸術にしか生きる喜びを見出せない

ぼくが望むものは、自分が生きる糧になるものだ。どんなにインターネットやAIが発達しても、それによって多少人々の価値観や意識が変わろうが、毎日意欲を持ってワクワクしながら生きることに結びつかなければ問題にならない。思い出すのが、ヘルマン・ヘッセが「デミアン」の中で言わせている言葉だ。

「利口そうなおしゃべりなんて、ぜんぜん価値がない。ぜんぜんないね。自分というものから離れてゆくばかりだ。分を離れてしまうというのは、罪悪だよ。ぼくたちは、自分の中へかめのこみたいに、すっかりもぐり込むことができなけりゃだめだ。」

改めて思うのは自分は芸術にしか生きる喜びを見出していないということだ。自分が主人公として生きることだけを追求すべきだ。他人の幸福を支えたいというのが自分の生きる生き方と言うのなら、それが主人公として生きることだ。人生は長いようで短く、短いようで長い。読む本は限られるし、読むべき本を読むべきだ。あまりにも自分の周りに情報が多すぎて消化しきれない。どうでもいいことに時間が奪われてしまうことにもっと危機感を持つべきだろう。今日、春の陽気に誘われて妻と近所をウォーキングしてきた。その時間は100パーセント自分のものだと思える。最近、成田悠輔という人をマスコミで見掛けるようになったが、思わずYoutubeで発言を聴いてしまって損をした気になった。現状の社会現象をなぞっているだけで自分がどう生きるかにリアル感がない。まさしく利口そうなおしゃべりの典型だった。