開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

何でも話す

何でも話すというか書くことにしよう。これまで暮らしとも言えない毎日の繰り返しなどは書くに値しないとしてブログに書こうとしなかった。繰り返しでないことでもプライベートにしたいことは明かさなかった。困っていることも解決しないまでは書かなかった、というより書けなかった。例えば妹のことで借金の肩代わりをしたことなどは、世間体が悪いという規制がかかって書かなかった。母がだんだんボケてきて、火の始末が心配になってきた、というようなことも書くのがためらわれている。もっともっとその手の類のことを妻や友人や知り合いについて、つまらぬ事で揉めていく事があっても書かなかった。書くということをどこかで神聖視していたかもしれない。神聖視というのは書くことに文学っぽい匂いを感じたいという気持ちがあるからだと思う。でもそうしていると書くことがしんどくなったり、次第に書くきっかけを失うことになるとも思う。実際ここしばらくはそうだったと思える。今日偶然、大江健三郎伊集院光トークyoutubeで見つけて、書くことに目覚めなおす機会になった。

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