今日家近くの高橋川沿いの桜並木を妻と歩いてきた。ソメイヨシノは満開に近かったが反対側はヤエザクラでほとんど咲いておらず、時期をずらして楽しめるように植えられてあった。高橋川にはアオサギが舞い降りてきて、真ん中でじっと動かなかった。数メートル近くに数匹の鯉がゆっくりたむろしていた。ゆるい川の流れに身をまかせるようにカメかスッポンが、周りの岩に同化してのんびりと首と手足を動かしていた。この辺りは定年退職して日がなすることがないときによく歩いた。あの頃の気分を思い出すのではないかと思えたが、まるっきり違っていた。何かが大きく改善されていた。こころの空洞は今は埋められていた。妻はここを歩くのは初めてかもしれないと言って、ぼくは前に一人寂しく歩いていたと応答すると、何をカッコつけてんのとバッサリと切り捨てた。
今はやることができて空いた時間というものがなくなっているのかも知れない。集中できる時間がいくつかあって、空虚さに身を晒すようなことはなくなった。それはブログを書き続けて過去を言葉で埋めてきたことも影響していると思える。春爛漫の日で歩くと暑いほどだったが、風は冷たく程よく汗を乾かしてくれた。