定年延長1年はしてみたが、2年目の配属先に耐えられそうになかったので退職することにした。妻には反対されたが、これだけはどうしようもないと絶対動かないと決めたようにして会社には行かなかった。その時の決断は定年後のことだから大したことではないように思われるだろうが、自分にとっては初めてのことだったので自分の人生で高揚する場面の一つだった。あんな暗室に一日中作業させられることには耐えられそうになかった。人間はどんな環境にも耐えられるものだという歴史的事実はあるが、ぼくがそこまで追いやられる理由が見出せなかった。妻とは共働きでいっしょの年に退職する約束だった。今それでもあの職場で1年働くことを引き受けていたらと仮定して想像することはできる。本当に耐えられなかったかというと、今だったら耐えられたかも知れないと「想像する」ことはできる。だったら想像してみたらどうだろうか。
暗室のようなとは、文字どうり印刷の製版工程で、光を遮断して露光時間をコントロールすることで印刷面の画像状態を作り、有害物質も含む現像液(現在は使っていないだろうが)を使って製版フィルムを作る暗室のことである。そんな部屋は確かに慣れてしまえばそんなものだし、昔の炭鉱夫はもっと劣悪な穴蔵で働いていたことを思えば大したことではないと考えるべきだったかも知れない。但しその作業は狭い暗室に一人で行わなければならない。交代要員はおらず、一日中の作業で、イメージとしては穴蔵に閉じ込められる感じなのだ。前工程と後工程には然るべき人数が割り当てられているが、ぼくが勤めていた会社ではその工程はコスト的に一人でなければならなかった。これを書いているうちに反省させられたが、ぼくはその労働を自分が担うには下等のものと見なしていたことになる。職業に貴賎はないという倫理観はあるが、ぼくにはその労働の環境は奴隷的に思われた。誰が奴隷的と見なすのか、他ならぬ自分だということをここで問題としなければならないのではないかという声がする。何故ならぼくは学生時代にマルクスを読んでいたからだ。定年後に直面した労働ではあるが、明らかにぼくは現実から逃避するように退職を選んでしまったのだ。
今から思うと卑小なプライドを捨て、定年後の再雇用という場面であっても一労働者への要請として受けるべきであったと思える。暗い穴蔵労働を一労働者として慣れない作業を一から取り組むべきであったのだ。定年後の再雇用という場面では管理職だったとしても現場の一作業員になるのは、多くの民間企業では常態だったはずなのである。その現実から逃避したのは、間違いだったのではないだろうか。それを考えてみるのが、このブログを書く意味なのだ。