開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

大江健三郎と黒井千次

「非常にスケールが大きく、歴史や地理を踏まえた独自の場所を切り開いた。私たちとは別の世界、違うところに立っていた」___これは黒井千次大江健三郎を評した言葉だ。ぼくは最近大江健三郎「晩年様式集」を読んでいたが、たまたま図書館に予約していた黒井千次の「高く手を振る日」が借りられて今日取りに行った。同時に二つの小説を読むことはためらわれた。作品に対する向き合い方として失礼な気がしてどちらかを選ぶことにした。読み始めた方から読了すべきなのだろうが、「晩年様式集」は考えながら読む必要があると思われた。大江健三郎サルトルの小説のように主人公が知識人であるのに対して、黒井千次の方はぼくには等身大だった。「高く手を振る日」は純粋に楽しんで読める。読み取りに特別の知的感覚はいらない。ぼくの選択は後者だった。ぼくも黒井千次大江健三郎評に同意する。

しんどくて辛気臭い小説に今は向き合う余裕がないのかも知れない。自分がかつてほど強くなくなったかも知れない。知識人というあり方にもかつてのように信頼を置いていないことに気づく。大江健三郎には独特の雰囲気があって僅かであるが違和感がある。自分とは別の世界の人と思わせる人柄がある。吉本隆明のような100パーセントの「謙虚さ」がないと思う。どこかで馴染めないものをぼくは感じてしまう。