開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

文学は快楽だ

おそらく文学にしか自分を受け入れてはくれなかった、という経験を持たれている人がぼくの他にもいると思う。そうは言っても文学は漠然としていてつかみどころがないと思われるかも知れない。ぼくにとってはさしづめ、何でも受け入れる広いこころ、といった場所と言えるだろう。取り合えず文学が自分の居場所だった。何でもありの自由に息のできる場所だ。小林秀雄は「はっきりと目覚めて物事を考えるのが、人間の最上の娯楽だ」と言った。その娯楽を与えるのが読書の楽しみだというのだが、文学が快楽だとより簡潔に言えると思う。簡単に直ぐには得られないかも知れないが、知れば知るほど、体験すればするほど、深い独特な快楽を与えられるのが文学だと思う。恋愛そのものも快楽だが、恋愛小説はそれ以上に快楽だと思う。昨日、黒井千次の「高く手を振る日」を読み終えたが、若い頃の恋愛より年を取ってからの恋愛はもう一度純愛に戻って、愛しく悲しい快楽をもたらす。気持ちがいいという直接性から、抑制の効いた美しい倫理性を良しとするのも、文学的な快楽だと思う。