開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

小林秀雄が切り開いた道

このブログで「本を読むことの原点に向かって」考えていた時に、小林秀雄の「読書について」を参考までに読んでおこうくらいの気持ちで読んでみた。多くの文学講演会の講演記録を書き直したエッセー集と思えたが、読んでみて分かりやすくすんなり入ってきた。おそらく小林秀雄を受け入れる下地がブログを書いていて出来ていたのだろうと思う。小林秀雄が始めたことは、「自分なりに」本を読むことだ。誰がなんと言おうと自分の知性や感性を信用して、本の作者の状況と心理と生き方の中に入って対話する姿勢を貫くことが、読むことなのだ。ぼくが深く共感したのは、読むのにも書くことと同じくらいの技術が必要だと言っていることだ。例えば、出版される小説は編集者の厳しい審査の目をくぐり抜けて一般の人の目に触れることになる。小説を書くことは試練を経て作品になる。それを読むことも同じように試練が必要(良書はいわゆる難しい本が多いとも言う)なのだ。それはこれまであまり注目されてこなかったと思う。誰も見ようとしなかったことを小林秀雄が「自分なりに」読むことで見えるようにしたのだ。それは自らも言っているように、ランボーを翻訳して徹底的に読んで身につけたらしい。