開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

大きい物語と小さな物語

昨日、石川県読連協の理事会に初めて参加することになり、読書会による人間関係がまた広がることになった。自己紹介で来月70になると気を許して喋ってしまうと、周囲から歓声のように若い!と言われた。会長から声がかかって副会長(四人のうちの一人)を引き受けてしまったのを少し後悔し始めていた。まあこの歳で世界が広がるのはいいことだと思うことにしよう。石川県の生涯学習課の竹林課長が事務局としてお世話しているので、野々市市の範囲を超えて事務量も増えるのだろうと思えた。野々市市の会合に出るのとまた違った雰囲気がある。野々市市はいい意味でも悪い意味でも村社会でのんびりしている。さて最近の読書では定年ものの小説を続けて読んでいて、黒井千次京極夏彦から広げて江波戸哲夫の「定年待合室」を読んだ。純文学からますます離れるのだが、身近な世界の事なのでリアルで追体験ができ面白かった。黒井千次も江波戸哲夫もサラリーマンの経験がある。その経験から展開される小説の世界はいわば小さな物語である。他方、源氏物語やダンテの「神曲」やギリシャ神話の世界は、大きい物語と言えよう。小さな物語で読書の飢えを満たしてくると、今度は大きい物語を読みたい欲が腹の底の方から湧いてくるのが分かる。日本の文学は小さな世界で閉じこもろうとする傾向がありそうだ。ヨーロッパの文学は、ギリシャ・ローマの世界が教養として生きていて、ジョイスの「ユリシーズ」のように、狭い日常の一日でも大きい物語になるように思う。日本でも大江健三郎村上春樹は例外かもしれない。