開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

小林秀雄は読者代表だ

小林秀雄の「読書について」を読んで以来、小林秀雄の書いたものを読んでいこうとこころに衝動を感じている。小林秀雄についてはもちろん賛同者や批評の神様として持ち上げる人が多いが、批判する人たちも多い。アマゾンのカスタムレビューに榎戸誠という書評ブロガーがいて、「正直言って、私は小林秀雄が大嫌いである。若い時、小林の書いたものを読んで、言葉遣いは華麗だが内容が乏しい、対象とする人や物に対する独りよがりの思い込みが激し過ぎる、これでもかと言わんばかりに捏ねくり回した難解かつ曖昧模糊とした表現で読み手を煙に巻くありように反感を抱いて以来、今日に至っている。」と言っている。このような反感はもっともだし、多くの人は同じ感じを小林秀雄に持たれていると思う。独りよがりで難解なイメージがその名前についてまわる。先日も県の読書会団体の会合で、自分の推薦図書として小林秀雄の名前を出すと同じことを聞いた。率直に言ってぼくは小林秀雄が好きである、というか自分も独りよがりなところがあって親しみを覚える。難解な文章や思想も好きな方だ。大袈裟に言ってしまうこともダメなところなのだが、小林秀雄はそれを芸術の域まで高めてしまったのだろう。ぼくが「読書について」を読んで閃いたのは、この人は読者という立場で語っていて、その立場が作者より低いという常識を覆したのだということだ。だから、批評というつもりはなく、ただ感想を述べているだけだと本当に思っていると思う。神様に祭り上げられて迷惑しているのだが、いちいち否定するのも面倒なだけなのではあるまいか。

 

[参照]     私が小林秀雄を大嫌いな理由がはっきりした