開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

ぼくのサラリーマン時代は強制収容所にいた

過去の記事を読み直してその当時を思い起こすとともに、よりその頃の気持ちに正確に寄り添おうと思った、、、、

38年間のサラリーマン時代を強制収容所にいたとこのブログに書いたが、自分の人生を自分を殺すことで壮大な無駄に追い込んだ企業環境をそうでも思わないと救われない気がしたからだ。社内に閉じ込められ組織の人間関係には目に見えない強制力が四六時中働いていた。社長からのパワハラや、年下の上司からのマウンティングなどの屈辱に耐えなければならなかった。屈辱に耐えるには何も考えないのが最後の防衛術だった。しかしふと過去のワンシーンが蘇ってくる。あったものは消えることはない。ふと社長がぼくに突きつけた一言が、あまりにも真実に突き当たってしまった。お前は私たちの使用人だ、と言っていた。
ぼくは生まれてから誰からも親からでさえ、お前呼ばわれされたことがなかったが、社長からはお前呼ばわれされた。しばらくどうしてそう呼ばわれなければならないか、理解できなかった。「どうして俺はあんたにお前呼ばわれされなきゃならないんだ?」それぐらい突っ張れるほどの馬鹿な無鉄砲さがあればまだ良かったが、ぼくは真面目な性格なので自分の方に原因を求めた。ぼくが報告しなかったから、そう呼ばれることが相応しいらしかった。報告しないだけでそんなに非難されることなのか。いつでも何から何まで自分の行動を報告する義務があるというのか。「俺はあんたの使用人か?」ぼくはその時、それまでの自分が属していた世界が、自分の思っていた世界とは別の、古いいびつでかた苦しい世界だったことに気づいて愕然とした。

周りの世界がガラガラと音を立てて崩れていくのがわかった。それは本当に予想していなかった人生の出来事だった。自分にとってそれから自分を立て直すためにもがいた2年間ほど充実した時期はなかった。何しろそんな古い世界から解放されることだけを考えれば良かったのだから迷いはなかった。今その時期が自分だけに与えられたドラマのように思える。今から思えば逆説的だが、やることが明確で楽しかった。会社の拘束から離れて自由な存在に帰ることを内在化と呼ぼう。内在化された自分は自分のものであり、改めて作り上げることが始まる。ぼくが社長の一言から壁を作って始めたことは、自分で自分を創ることだった。魂の世界ともいうことができる。ぼくはその時ゾーンに入って夢中になった。生身の生物的人間は親の創造物だが、自分の意思で創る自分はいわば人工的人間だ。思考によって人間になる想像的人間だ。ぼくは自分の内部に想像的人間を創ることに夢中になった。ぼくがどんな人間にもなれると想像するとき、いったいどんな人間になるのか?女性にモテたいとか、金持ちになりたいとか、そういう具体性がぼくにはなかった。何か違う人間になりたかった。