もう一人の自分が訊いてくる。どうして最近英語にこだわっているのかと。こだわっているつもりは無いのだけれど、何か違うふうに世界が見られたらいいというくらいには思っている。ぼくはlonelyになりがちで何も起こらない日常が耐えられなくなる時、自分の感じ方の方を変えたくなる。言葉で反映された日常を言葉の方を変えれば日常も違って見える、という詩人のやり方を身に付けたく思っている。その時、英語は今まで身についている日本語とは違うから、英語で言ってみたり書いてみたりして日常を変化させたいわけだ。話は飛ぶが、文学も同じように日常を変えて見るように仕向ける力があると思う。その力に期待している作家がガルシア・マルケスや村上春樹らしい。ぼくはジェイムス・ジョイスもそうだと感じている。彼が描くダブリンは現実のダブリンでは無い。ジョイスの愛がつまったダブリンだ。ぼくにとっては憧れの要素も入っている。日本人には異国であり興味を刺激される、想像的は「国」でもある。Dublinersはこれからもずっと追い続けていきたい。