人生は小さな運の集積でできている、という考えに至ったある出来事について書いてみたい。それはどこにでもある日常の一コマに過ぎない。何事もオーバーに捉えてしまう、新鮮な驚きを何よりも得難い体験にまで高める癖のある私だからこそ、つかんだ発見と思える。私はこの前、眼鏡をケースごとどこかに置き忘れてしまい、ついに見つけるのだがその経過を振り返って考えて見ると、たった一つの運が偶然にも「繋いだ」のだった。
眼鏡それは初老にある私には老眼鏡ではあるが、最初なくしたことに気づいたのはその日の午後だった。だからほとんど間も無く気づいて、恐らく無くした場所は特定できた。午前中に県立図書館に行っており、気づいてすぐに県立図書館に遺失物に届いていないか問い合わせの電話をしている。電話では閉館になって最後に全ての場所を見回るそうで、そこで見つかるかもしれない、またその日の遺失物はまとめられて預かり所に置かれるのでそこに翌日問い合わせしてみてくれという返事だった。電話の後、私は午前中県立図書館に見学に訪れていて学芸員にほとんどの部屋とコーナーを案内されていたが、最後に付属のカフェテリアに行っていることを思い出していた。ひょっとしてそのカフェテリアは見回りの対象にはならないかも知れないと思った。そして直ぐにそのカフェテリアに行って見ることにした。今度は電話ではなく、「現場」まで足を運ぶことにした。そしてカウンターの女性に、眼鏡の落し物が届けられていないかを尋ねた。彼女が申し訳なさそうに言った答えはNOだった。やはりと思って礼を言って帰りかけた時、ちなみにどこの席に座ってましたかと聞かれた。私はもう帰ろうとしていて入り口近くから、その席の辺りを指差していた。その距離からは席の下のスペースも見えるのだった。何か奥の方に、黒っぽい15センチほどの袋のような物があった。それが眼鏡ケースだと分かった時の喜びようは、ちょっとした彼女の一言で実現した邂逅を表現する、二人の飛び上がらんばかりの瞬間芸のようだった。
彼女のサービス精神の一言が最終的な運を決めたのだった。運とは偶然と偶然をもたらす親切心でできている、と振り返って思うのだった。