開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

自分なりの英語習得法を試す

これまで英語は外部のそれも外国の、外にあり外からの言語だった。今も99%そうなのだが、ほんの少しだけ英語が内部の自分自身の中にある感じを経験した。最近のブログで試みている、自分の文章や詩をグーグル翻訳を使って英文にするという経験だ。自分が書いたものだから英文になっても、自分というidentityは残っていて自分の英語のように感じられるのだ。これは今まで感じたことがなかったことだ。完全にノーマルに書かずにどこかに自分を感じせせるようにブログに書いているので、変換された英語も教科書や教材の言い回しとどこか違う印象がある。どこかに自由さがある感じがする。そこがいいのだ。これ以上身近な英語はないはずだろう。ただし、その身近な感じはグーグル翻訳の手を借りていて、自分の頭で変換しているわけではない。本当はグーグル翻訳がやっていることのほんのちょっとでも体験できればいいのだが、、、。どうすればいいんだろうか?これまで何回か試みてきて英語が身近になったことだけは確かだ。さらに身近になるには、同じことをしていてもダメだ。何か瞬時に変換の結果が頭に思い浮かぶ必要がある。少なくとも、大きなことは小さなことに分解して考える必要があることだけは言える。自分の文章を書くと同時に英語が思い浮かぶ必要がある。一つ一つ一文ずつやってみよう。最小単位からやってみよう。自分でやることがいいのだ。