自分には読むことと書くことしかない。それも無制限に読んだり書いたりはできない。そんな事は出来ないに決まっている。ただ、自分というこの世に生を受けた固有の人物だけが私に許された領域である。自分の生きた感性と知識欲や常識的な判断力と、神にも似た存在を思惟できる理性を持った、一人の人間のサンプルを書く材料にするだけだ。これを生きている間は続けようと思う。それ以外は出来ないし、しないと決めた。読む方も自分の感性と常識と理性を持って、読むべき本を選んで読む。それを死ぬまで続ける。読む体力を失わないよう何らかの手段で自分を鍛えるかも知れない。書く方も鍛えなければならない。言葉によって読み書きするわけだから、日本語と英語は翻訳という統一形式を学び、言葉の使い方を鍛えようと思う。これから、それらだけをやり、やり遂げる。だから小説などの表現の領域に進むのではない。自分から離れるようであれば小説を読まない選択もあるし、小説を書くこともない。自分のままに居られるのであれば、その限りではないが、その判断は予め出来ない。やりつつ都度判断することにする。要は書き続け、読み続けるだけだ。それだけで良いと自分で決めたのだ。