開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

日本人の魂をもったグローバル人

時の流れが激しい。時は水のように過去を押し流す。記憶をコントロールすることで時の流れをコントロールできるかもしれない。ベルグソンの時間論に注目した小林秀雄もひょっとしたら、そのことに可能性を感じていたのかもしれない。記憶すべきことと忘れ去るべきことを分けて、自分の立ち位置の修正に役立てようとコントロールできるとしたら、それは探求すべき事柄かもしれない。そう言えば村上春樹も「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で記憶の問題を扱っていた。一角獣をメタファーとして使っていたが、今はそれを再読して確かめる気力がない。

ぼくが今時の流れを感じているのは、おそらく定年退職してしばらくの頃と決定的に時の流れが切れてしまったと感じたからに違いない。思えば随分引きずってきたと思える。もうすでにサラリーマンの人格は跡形もなく消え去ったのだろう。それで良し、だ。そのように自分を変えようとしてきたのだ。この前、テニス教室の新しくできた仲間がぼくの前職をミュージシャンじゃないですかと訊いた時、少し嬉しかった。ミュージシャンは自由人だからだ。ようやく自由人の人格を手に入れた。これからは英語を吸収して無国籍人になりたい。日本人の魂をもったグローバル人を目指したい。

今日はそのためのやや詳細な目論見について書いておきたいと思った。英語の参考書を読むのは必須なのだが、もっと違ったことにも取り組みたい。日本人の自分を未来の無国籍人から見るという視点がいいように思う。古文の参考書も同時に読むのはどうだろうか?ロバート・キャンベルみたいな人をロールモデルにしてみようと思いつく。彼は日本のどこに心底惹かれたのだろう?何せ、普通の日本人が読めない漢詩が読める人なのだ。あるいは、英語のできた徳田秋聲は、既に日本人の魂をもったグローバル人になっていたのではないだろうか。日本の近代人は今よりグローバル人だったのではないだろうか?