開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

共に生きるを実感する

今、私の中で起こっていることは、共に生きるという価値観の実在性を問うことだ。他者という一般性では抽象的すぎるし、また私とあなたという二極関係でもなく、地域や住民社会の中での自己という義務や権益が絡む関係でもない。隣人としてやチームの一員としてや勉強会や趣味の会の一員として、どんな役割を受け持つことになるのかといった場合の意識の中にあることを問おうとしている。ある意味社会人としてのマナーのような事なのかもしれないが、しきたりや常識に従うといった保守的なことではない。あくまで自由に基づいてフラットな関係にあることである。平等という理念や価値観に親和性があるが、政治的ではないし思想的なことでもない。あくまで今ここに生きている現実の中で、思考や行動の源泉にあるものだ。一昔の言葉で言えば、「ゆづりあい」や「お互いさま」の精神のことのように思える。

当然そうすることが相応しいような関係の輪の中に自分がいることを最近感じ始めた。野々市市の文化協会常任理事や、図書館協議会委員や、石川県読連協副会長などの「半公職」に気がつくと就いていた。読書会で幾分か熱心に意見を述べていたにすぎないのに、ほとんど自動的にその席が用意されていた。そんなものなのだろうとこちらも遠慮せずに引き受けてしまった。だからあまり無責任な態度も取れないだろうと、その任を真面目に考え出したのだろう。与えられた任務を自覚しながら、自分にとっては新しい関係に入って応答せねばならないと考えている。それが共に生きる、ということの実在性なのだと思って、、、