70歳を過ぎて自分の意思のままに過ごしているかといえば全くそうではない。むしろ、自分の意思というものを当てにし過ぎていたと思うくらいだ。94歳の母が実家に一人暮らしをしているのを放っておくのはもはや出来なくなった。長男であり近所からの世間の目というものも無視はできない。認知症ではないが、年相応の物忘れはある。薬を間違えて飲んだり、飲み過ぎたりしたら今の状態を維持できなくなるので、最低限のことは必要に迫られてすることになる。もはや自分で料理は出来ず、入浴も億劫になっている。部屋は毎日通うようになってからは片付いてきている。病院と買い物には車で送り、付き添っている。妻と二人でそれが日課になっている。
読書会は本を読むより以外の時間に、以前よりむしろ取られている。自分一人の楽しみのための読書ができなくなっている。今月24日には県立図書館で読書会の助言者という役目を仰せつかって、黒井千次の「群棲」の解説をすることになっている。
思い返せばいつ頃からか、他者の半強制がなければ自分が動かないことを認めざるを得なかったという経緯があった。英語の勉強だって続かなかった。英語はマイペースの独学でできると思っていたらそのうちにしなくなった。(また再開したいとは思っているが)
、、、このところの停滞はつまるところ、このブログの停滞にあるのかもしれない。ともかくも書き続ければいい。書くことが自分を作っていくということを信じようと思う。