開界録2019

ぼくの生きている実人生に架けられている「謎」を知ることから、一人で闘う階級闘争へ。

小林秀雄は難しいだけか?

先日読書会のメンバー10人ほどで、小林秀雄の「読書について」というエッセイをテキストに公民館で読書会を開いた。小林秀雄は一様に難しいという。小説そのものではなく読み方の方を注目した読書論なのだが、誰もその新しさを賞賛する者がいなかった。読む行為にはとめども尽くせぬ宝庫があるのだが、そのことに気づいた人がいなかったのは寂しいことだ。どんな読み方をしてもいいという、都合のいい、耳障りのいい俗論にたやすく靡いてしまうアマチュアリズムにどっぷり浸かっていた。街の公民館での読書会にそれ以上を期待する方が間違っているのだが、ぼくとしては自身の孤独を再認知させられた。長年小説を読み続ける中で鑑賞眼は鍛えられないのだろうか?誰だって本物を見極める美意識が育っていくものではないのか? 骨董が趣味の人でも、自分の鑑識眼を育てようとするのではないのか? たとえ趣味であっても向上を目指して自分を高めようとするから面白いのではないのか? ぼくは孤独にまた向き合って自分の進む細い道を思った。