答えの出ない問いに取り憑かれて立ち往生する時間が勿体無いと思いつつも、どうしようもなくその問いに引き寄せられる。ぼくは何故何のために生きているのかと。何を為して何を得ようと、何処へと向かうのかと。ほとんどの現代人は無目的に生きざるを得ないと気づいているか、気づかないように身近な雑用に等しい事に埋没する。サラリーマンの時、社長からパワハラを受けて引きこもりになり回復のために思索した2年間は例外的にぼくには目的があった。今思えばあの日々は充実していた。マイナスをとりあえずゼロまで戻す必要にかられた。現在はプラスになっているが、停滞し何処にいるか分からなくなっている。何処にいるかはどうやら世間から遠いところにいるようだ。文学の世界だとしよう。とてつもなく自由で考えられることは在るとされる世界で、ぼくは生きているのだ。自由こそ世界だ。自分を生み出せる場所だ。そこは文学の場所のように思える。
自己を生み出すこと、自己を自己の対象とすること、
自己を知ることが、精神の仕事である。
どうやらヘーゲルの言葉らしい。今日知り得た、ぼくの心に響いた言葉だ。申し訳ないが、引用元を示すことは控えさせていただく。同じヘーゲル学徒のよしみでお許しいただきたい。